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1992 – 1999

グローバル化の衝撃

もし、未来に繋がる現代化に良くも悪くも準備期間があるとすれば、それは20世紀最後の10年間であると言ってもいいでしょう。不安と希望、世俗心と精神性、デザイン・ユトーピアおよび社会的願望は、2000年に向かって拡大し、技術革新の一般的な信頼によって確保されました。当時、少数のみが推測できたのは、2つの現象が密接に関連することで地球上の生命に革命を起こしただろうということです。つまり、ワールド・ワイド・ウェブとグローバル化が、数年間で人々や国々は勿論、産業界とデザイナーにとっても生き残るために欠かせないツールになるということです。この20世紀末にピエロ・ガンディーニと共に生まれた第二のFLOSは、最高品質へのこだわり、アイコンとなるオブジェの探索、(最高の意味合いでの)職人技術による加工と最新技術のバランス、そして異なるデザイナーの貢献にもっとも注意を払う点など、多くの面で当初のFLOSに似ています。デザイナー自身がプロジェクトのアイコンの一部になり始め、ビジネスマインドなフィリップ・スタルクは自らデザインしたプロダクトを通して、世界市場を拡大し、その観点から学べるものが数多くあります。その理由はまず彼がインテリア・デザイナーとして世界中(メキシコ、日本、米国)で益々活発に仕事をし、そこから頻繁にシリーズ製品のプロトタイプが生まれたこと、そしてこのグローバルな視点を持っていたが為に、平凡さや奇抜さ、技術や娯楽を融合でき、まだ商品システムに前向きな姿勢をもった時代に上手く受け入れらていました。

より新しい、そしてより多くの人にデザインについて語る為に、またグローバル化の中で生き残る為には、単に巨匠の直感提案することだけでは不十分だと明確になりました。
未だに知られていないデザイナーが、インターネットのおかげで逆説的に徐々に小さくなっていた世界の大衆文化をデザインし、新たな作品や言語の種類を想定することが必要です。このようにしてオーストラリアで生まれ育ち、日本でプロとして成長したマーク・ニューソンとの出会いもその一例です。彼は飛行機の胴体に見立てた単一のLockheed Chair(ロッキードチェアー)から欧州の産業界との彼の最初のシリーズ製品である HELICE LAMP FLOS(ヒラシー・ランプ・フロス、1993年)等、旅行や高速移動をテーマとした明らかに未来的な作品を作り出します。一方、ジャスパー・モリソンの作品は知的なネオミニマリズム主義であり、オブジェの典型的な形態の見直しから始めており、注意深く見なければ既に存在している作品と勘違いする可能性があります。しかし、それは文化的な錯覚でしかありません。GLO-BALL(グロー・ボール)シリーズ(1998年)でも見られるように、バウハウスを思い出すガラスの古典的な球体は押しつぶされ、純粋な新しい形状が誕生します。GLO-BALLはグローバリズムと古いボールゲームの言葉遊びの造語として出来上がったその名前にも見られます。

この第2世代のその他の作品が商業的な成功を収めたのは、様々な用途に適応できるよう、作品自体の機能が拡張されたからです。 先ずはカスティリオーニのBRERA (ブレラ、1992年)および他の数多くのランプは元々のアイコン的アイデアを保持しながら、テーブルライトにフロアライト、ペンダントライト、ブラケット照明と同時に生産されます。FLOSが定義するようにそれは一つの製品の部分的な組み合わせを変更するだけであり、多用的で多機能であり『家族(シリーズ化)』の特徴が見受けられます。

コミュニケーションの観点から見ても、物事は素早く変更します。イタロ・ルーピとのコラボレーションの後、フィリップ・スタルクが新しくブランドイメージの役員会に参入すると(1992年)、彼のサークルの一員だったアートディレクターのブルーノ・レ・モルトが、カタログや出版物のグラフィックの変更を開始し、ハインツ・ワイブルとピーノ・トヴァリアが考案していたロゴのデザインを見直し、モンフォルテ通りのショールームに、記憶に残るショーウインドウのディスプレイを飾りました。ガンディーニは奇抜な広告キャンペーンを作成するよう、最先端のイメージメーカーであるジャン・バティスト・モンディーノを起用し、デザイナーと作品が共に注目を浴びるように企てました。

1998年には、新たな国際的な才能を持つ、コンスタンチン・グルチッチの“安全なランプ” MAY DAY LIGHT(メー・デー・ライト)がCOMPASSO D’ORO(黄金のコンパスの意)を受賞したことは、時代が確実に変わったことの究極の兆候でした。多くの企業やデザイナーが最高の歴史的な賞として認め、多少固いメンタリティーであるその賞と同名のADIは当時の熟練した見方に従い始めます。シンプルでアイコン的、そして機械的なランプの再デザインは最も有名なデザイナーによってデザインされた教養あるデザインと肩を並べることができるようになります。

FLOSの生産を活性化するというピエロ・ガンディーニの賭けに彼は勝ったと言えるでしょう。1年後に彼の父セルジオが亡くなり、彼の知人たちの心に穴を開けてしまいますが、その功績によってグローバル化の暴力的な衝撃に耐えるような企業として行き残る事ができました。

S.C.

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    The second Flos Image Committee, Sergio Gandini with Philippe Starck and Tobia Scarpa, 1992
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    Max Germany magazine, special issue with guest editor P. Starck, 1995
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    Helice lamps by Marc Newson in the window of the Corso Monforte store in Milan, design Bruno Le Moult, 1994
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    Arco lamp for a Flos advertising page, photograph Jean Baptiste Mondino, 1998-99
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    P. Starck, special lamp for the Delano Hotel, Miami, 1998; on the left, manufacturing in the Flos workshop
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    Konstantin Grcic, May Day lamp (awarded with the ADI Compasso d’Oro in 2001)
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    Bruno Le Moult, sketch for a Flos storefront set up, with lamps Bibip, Helice and Bisbi, 1993